2005年07月22日

小林サッカー



キャプテン翼!?
 アニメ版キャプテン翼をばかばかしくしたような映画。あまりにも突っ込みどころが多すぎて逆にどこから最初に突っ込んでいいやら迷う。全編ナンセンス映画。なぜか真面目に見入ると、感動してしまう。どうしようこれ、って思ってしまうほどに笑う。アクションあり、笑いあり、恋あり、感動あり。子役の意味不明な作曲家が本当にわけわかんないって。壮大なコントを映画でやっている。バカは伝染するのだ。おもしろい。
 ただ、残念な点がたくさんある。それはあまりにも特殊効果に頼りすぎたために、人物への感情移入が薄れた点。それと脚本と映し方のミスだが、主役が出すぎてしまって(存在感がありすぎる役者だったから逆にそれがネックになった)、せっかくいい脇役がたくさんいるのに主役に押されて気配が薄れたということ。これはチームプレーと言うサッカーを主題にした映画を映すにあたって致命的。画面構成がいまいち悪く、「サッカー」という競技そのもののおもしろさが完全に薄れてしまった点。例えば、私はそれほどサッカーには詳しくないが、スペインリーグの決勝戦なんかは迫力、臨場感ともに群を抜いている。役者の技術的には格段に難しい演技になるが、アップではなく、カメラを引いてボールがどのようになっているかをちゃんと映す。周囲の人物のカットも入れつつボールへのそれぞれの動きをうまく表現できればもっと試合シーンは格段におもしろくなったと思う。最後の的の人造人間(違)、本当の少林寺拳法の使い手らしい。うん。目つきが違う。恐ろしい。鬼教官らしい。
 監督さんは、主役のチャウ・シンチー。ぜひ日本が誇る熱血サッカーアニメ、「キャプテン翼」を彼に見てもらいたいと私は思うのでありました。

あ、宣伝だけれども、私も最近バカ記事を書いています。
気ままな妖精のようなふてくされよう
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2005年07月21日

きっと君は泣く

発行:角川文庫

女であるということ
 「女」であることを作り出し、それを武器にしていく主人公。「女」への固執が整形などの外見的な「美」へと走らせたこの主人公の対比として「大魔神」と呼ばれるブス女が出てくる。「女」は女で生まれたときから「女」というわけではない。「女」は自ら創り上げていくものだという作者のメッセージがくみ取れる。ブスは自分への手入れすらしようとしないからブスなんだということだ。この主人公はけっこう辛辣。私が書いたりしたら反発を買いそうだが、女性が書いているので反発の気持ちが薄れる。説得力も出てくる。自分への卑屈な気持ちを持った人間はその卑屈さを時として武器にするが、私はそれは醜いことだと思っている。本人にとっても諸刃の剣のはずだ。お互い反発しあう二人がどことなく打ち解けていく過程もおもしろい。
 この主人公、ちょっとバカっぽい主人公なのだが、その主人公の最大の欠点もこの話の中で出てくる。それは「想像力」である。
 どことなく腹の立つ人間のほとんどは自己中心的である。自己中心的である最大の原因は自分のことしか考えられないからである。それは明らかに周囲の状況や心情を思い浮かべるだけの想像力が欠如している。あくまで周囲の状況から自分のことだけを考えているのが自己中なのだ。
 鏡の話が出てくる。鏡はありのままの姿を映すという。
「どの写真を見ても、あんまりよく写ってないとか文句言うだろ。写真も一緒だ。〜他人が見たとおりに写ってるんだよ。違うと思ってんのはお前だけだ」

 ほとんどこの主人公、手段を問わないような都合のよさが垣間見える女だが、それでも最後には欠けていた一片を見つけたようなところが印象深い。さて、彼女が見つけたのはなんだったのでしょうか。
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ナチュラル

発行:幻冬舎

最も自然なもの
 まるで箱庭劇のように話は進む。一人の女性を中心として二人の男性との性の繋がりと三角関係とを通してそれぞれの心情を浮き彫りにしていく。
 いわゆる不倫だったりと大人の事情が垣間見えるが、むしろ主人公はそんな事気にしていない。刹那的よりもむしろ温かみを求めて居心地のよさだけを感じているようにも思える。
 最も自然な男女の繋がりはなんなのだろうか。私にははっきりとは断言できないが、ここでは性での繋がりを強調している。すでに妻子のいる彼氏に比べ「俺の子供を産め」という浮気相手が対照的だ。主人公のセリフがことごとく主人公を照らし出しているのが大変皮肉だった。
 理性的なものよりももっと本能的なのが身体だ。体が性を覚えていてそこから感情が揺れ動く。脳よりも体が条件反射で動く。最初に犬のことがでるが、まさにこの主人公は躾された犬を象徴するかのようだった。誰かの「ナチュラル」に従うこと。己の「ナチュラル」に従うこと。求めるものと与えるものが一致すれば互いに離れられなくなる。それは自然に起こってしまうことのように思える。一方の関係では秘密を守り、一方の関係でもどうどうとしつつも彼の家庭へは踏み込めない。ここでも秘密を抱えている。三人ともずるい関係を続けていくのだが、セックスの味を強烈に覚えた関係というのは、私は普通の恋愛よりももっと特殊に繋がっていくように思える。それはやはり理屈を越えた本能の問題なのだ。本能に近いということは最も生物的な人間に近い。自然な状態であるということだ。
「恥ずかしさは必要なのよ。何をして生きていくにしろ」

 性が生だとすれば、主人公は何を求めたのだろう。ただ、主人公は今の関係が壊れることを恐れていた。全身が余さずに満たされる快感にひたっていたかったのか、穏やかな水に浮いているような気持ちになれるのが好きなのか。どことなく寂しさを覚える不思議な作品だと思った。
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2005年07月19日

24 -TWENTY FOUR- シーズン1



もうドラマじゃない
アメリカで一番人気のあるドラマは「ER」なのだが、ついで現在はこれが人気らしい。私は天邪鬼にできていて、いわゆる流行っているようなやつがあまり好きじゃない。集団心理が働いているし、たまにおおハズレすることもあるし、いちいちみんながおもしろいとわかっているのだから、別に自分が体験して再確認することもないだろうという考えが働く。
前は、値段がちょっと一気に払うには高いこともあり、あまり興味が沸かなかったのだが、今回は、シーズン4が出るにあたり、値引きしていたのを一気にシーズン3まで仕入れてしまったのだった。それでちょくちょく見ていたが、まだシーズン1も半分しか見終わってない。
当初はドラマだからとバカにしていたふしがあったが、見て土下座しようかと思うほどに己の判断が誤っていた事に気付かされた。
正直に言って、これはもう映画レベルです。とても「ドラマ」だと言えるようなクウォリティーじゃない。この脚本を考えた人も天才だし、このドラマを作ったスタッフも超一流です。というより、本当に脚本考えた人天才です。何度繰り返しても言い足りない。これは凄い。
宣伝までの時間割、シーン展開、来週に残すまでのシナリオの逆転、何が起こったか少しでも見逃せば話がわからなくなるほどのスピード感、キャラクターの濃さ、人間心理をついた深み、何をとっても凄い。二重三重に話が同時進行するおもしろさは今までになかったドラマです。
カット割がおもしろく、同時進行する話に合わせて画面が四つになったりします。これがまた忙しい。見るのも忙しいが、シナリオも忙しい。とにかく最初から始まったスピード感とスリルがまったく途切れないままずっと続く。なにせ、主人公、家も首相候補も守らなきゃいけない。それでもって寝不足。これは主人公に合わせて、12時からずっと見ていたらさらに臨場感が・・・え?無理?
だいたい一話四十分。全部で16時間ほどあるので、しっかり見るべし。たぶん、レンタルビデオで借りるより、買っちゃった方がお得かもしれない。なぜって、あとで絶対また見たくなるから。新感覚、体験してください。

シーズン2

シーズン3

シーズン4
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2005年07月17日

GHOST IN THE SHELL〜攻殻機動隊〜



マトリクスの原点
私は原作を読んでいないのですが、アマゾンのレビューを見ると原作を見たら映画が楽しめるそう。なにせ世界設定やセリフが難しいので、飛び込みで理解するには辛い作品。
話を飛び込みで理解していくには脳生理学と、フロイトやカント、コンピューター知識と聖書のことは少なからずわかってないと飲み込めてこないと思います。少なくとも脳が電気信号によって様々なことを伝達していると言うことだけは頭に止めておいた方がいい。文字間違っているかもしれませんが、この世界ではサイボーグ化された脳は電脳って言って、簡単に言えば超高機能ネット付きパソコンが頭の中にあるって言った方がわかりやすいかも。
話の設定やセリフが難しすぎて誰にでも理解できる内容ではないと思いますが、「マトリクス」の原型になっただけあって、あれがこの話のパクリだということがよくわかります。なにせ「マトリクス」を一番最初に見たときは吹き出しそうになった。だってそのままなんだもん。
最後のセリフが理解できない人は話や世界観そのものが理解できていない人。
マトリクスの終わりも同じ内容のセリフでした。
この話の主題は自我や自己、それを取り巻く世界、世界があるゆえに自我や自己があり、それらが育てられ、拡大し、世界があるゆえに自我や自己が制約され、時には収縮されるという二律背反。それを超越するためには世界そのものになるという命題。これが根っこにあると思います。
映像が綺麗なので楽しめるとは思いますが、相当頭柔らかくして色々なことを頭にとめておかないと「結局なんなの?」ってことになってしまう。
そういう意味で、見る相手を選んでしまう話です。
「イノセンス」を見るのならこちらは絶対に見ておいたほうがいいです。
なにせ「イノセンス」続きなので、こっちで少し話を理解しておくと、「イノセンス」の中で出てくるキーワードが理解できます。
作中に出てくる変な歌の言葉は神韻と呼ばれるもの。ご利益があるかも?


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2005年07月13日

ショーシャンクの空に



希望は人生で最高のエッセンス
 公開されて十年もたつのですね。スティーブン・キング原作、「刑務所の中のリタ・ヘイワース」を元に脚本化されたもの。無実の罪でティム・ロビンスが刑務所に入ってしまうのですが、挫折にめげずに希望を持って生きていくさまを描いています。なんせこの映画、私が繰り返し見ている数少ない映画。何度見ても涙腺が弱くなります。刑務所の中に居るモーガン・フリーマンがまたいい。二人の役者はちゃんと長い刑務所の中での時間の流れを表現していきます。特に二人とも時の経過とともに落ち着いていくのですが、ほんの少しだけ対照的なのは、モーガン・フリーマンがそわそわしていくのに対して、ティム・ロビンスが余裕すら見せるようになっていくところがいい。その互いの心理の中に何の違いがあるかというと、「絶望」と「希望」の違いなんじゃないかと思います。モーガン・フリーマンはどこかに絶望とまではいかないまでもそこへ至るまでの「諦め」という要素は充分に持っていた。そこから逆に落ち着きを得ているのに対して、ティム・ロビンスは「希望」があり、「諦め」を徹底排除していた。彼には未来があり、その未来を見ていることへの余裕があった。事実、映画はその要素を中心に展開してくわけです。
 人が夢を持ったり希望を持ったりしてもすぐに諦めてしまうのは「失敗」や「挫折」があるからです。この映画の中でティム・ロビンスは何度も「失敗」や「挫折」を繰り返します。ティム・ロビンスは映画の中で言います。希望があるから打ち砕かれる衝撃に挫折するんだという考えに対して、「希望は何よりもすばらしい」と言います。それは挫折があろうと希望だけは人の心から奪い取ることができない。自由も何も束縛された中で自由を夢見る希望とやらをモーガン・フリーマンは怒りを交えながら嘲笑します。でも、二人の大きな違いはやはり「諦め」を持つか「希望」を持つかの違いでしかありませんでした。
 人間は二極に分類するとネガティブな心を持った人と、ポジティブな心を持った人がいます。近くにそういう友人が居るのならば比べてみてください。必ず言っている言葉が違います。ネガティブな人はネガティブな言葉を多く使い、ポジティブな人はポジティブな言葉を多く使います。映画の中でもそれは出ています。
 人生の中で大切なものは「希望」。これを失わないでポジティブな心と言葉もっていけば必ず明るい未来は開けてくる。私はそう信じています。これは本当によい映画。様々な人に心からお勧めしたい映画です。
posted by ハヤブサ at 23:08| Comment(0) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月10日

ヘブン・アンド・アース 天地英雄



さすが!ツボをおさえていらっしゃる!
日本人から見れば、中井貴一が主人公じゃない?と思いますけれど違いますよ。隊商の護衛役になるチアン・ウェンです。紀元600年ごろの話で、中井貴一はなかなか日本へ帰してもらえない遣唐使の役なのですが、他の人の持つ剣と違ってわりと日本刀に近い反り具合。柄のデザインも日本刀みたいです。中井貴一はチアン・ウェンを抹殺しに行くのですが、二人ともなかなかの剣さばき。隊商はシルクロードを辿っていくわけですが、その景色からもスケールのでかさが出ている。
ほとんどが砂漠のロケなのですが、なんせ砂漠は気温差がひどく、夜になるとマイナス近くまで落ち込むこともあります。で、見てるほうはさぞ暑いのだろうと思うのですが、白い息が出てるのがわかります。寒そう。友だちも気温の寒暖で夜凍死しかかったことがある。
見所は馬もラクダも演技しているところ!これ凄い!それとがんばれじいちゃん!って気持ちになる。中井貴一はとっても中国語がお上手。普通に中国語で会話ができそうなぐらい発音もいいです。対するチアン・ウェンは懐のでかいお父さんみたいなおおらかさと厳しさがにじみ出てる。ああいう人は本当に頼れる感じがしていい。
最近はコンピューター技術が発達しているから、ちょっと撮って合成して多く見せかけるなんてことはよくやってますけど、これはちゃんと映ってる分だけの人がいます。それだけに迫力がある。チャンバラシーンもやっぱりというべきか、香港映画系のものはツボを心得ていらっしゃいます。ただ、あまりにもアップでごちゃごちゃやっているために、せっかくの剣さばきが見えないところがあったりして残念。あれ?今何したの?ってシーンが数箇所ありました。それとも剣さばきをわざとぼかすためにやったのか、そこら辺の真相はいかがなものか。
途中で砂漠のど真ん中で死に掛かり、隊商の荷物を狙う敵に水をぽいって投げられるのですけれど、なんかてくてく歩いていってやられちゃう。最初は「これは砂漠の掟かなんかなのか?」とは考えてみたものの、やっぱり考え直して「こいつは犬死だ!」と気付いてしまった。あれは一体なんだったのか教えてください。
古い中国には数々の伝説があります。私が好きなのは三国志なんですけれど、劉備と孫権が剣で岩割っちゃったり、仙人出てきて歴史変えたりとなんだか壮大な歴史には伝説がつきもの。この映画の中にも「いや、それはないだろう」って思える奇跡が起きます。奇跡を起こすのはじいちゃん。さすが、伝説の男になりました。どうせなら彼を祭ればいいのに。
馬の動きも人の動きも最高の作品でございました。
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2005年07月09日

21g



あの三人だからできました♪
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの三人が主軸となって進行していくドラマ。
交通事故によって不幸な形で繋がれる三人なのだが、全体的に画面のトーンが落ちて配色を濃くしているために、わざとざらつかせている画面がひときわ目立つ。そのためにドキュメンタリー映像を撮っているような感覚が出る。カメラワークも人の視点を重視し、目で追っている感じが強い。とてもリアルに感じる。上記の三人はアカデミー賞クラスの俳優。だからこそ、よりリアルさが出る。画面に出てくる人たちは皆「人間臭い」。というのも、感情の噴出具合が並じゃない。何十色もの色がころころと変わるように目まぐるしい。「喪失」「憎しみ」「救い」「罪悪」「愛」「繋がり」様々な思いが爆発的に散っていくようだ。
正直に言ってこの映画を切り取れるほどの知恵や経験が私にはない。人は誰かが死ぬと21g軽くなるといわれている。一体何を失ったのか。何を得たのか。
私の身近な死は中学一年の時に祖父が交通事故で亡くなった。自分が傷ついているということは他人に指摘されて始めて理解した。自分が自分じゃなくなってしまう感覚というのは、自分が明るくつとめていると思っていてもひどく傷ついて暗い様子がありありと出てしまうことだろう。ナオミ・ワッツは薬に逃げ、ベネチオ・デル・トロは信仰に逃げた。だがはたしてそれは逃げなのか。人生に逃げなんてあるのだろうか。人はどんな条件であろうと生きていかなければいけない。人生は、逃げても生きていかなければいけない。人生において逃げはないのだ。
誰もが弱い。そして弱さと向き合い、時には立ち向かおうとする。私がこの数年で得たことは、自分がいかに弱いかだった。だが、人がいかに弱いかというところまでは確信がもてない。他人はきっと自分より強いのだろうという漠然とした思いがある。
経験から得ていくのが人間だ。確かにそうだが、何も得ようとしない人間もいる。そういう人間は人生そのものが不幸だ。なぜなら人生に意味や意義を見出さなければ「生」そのものが本当には生きてこない。人間には数々の曖昧さがある。人間の感情にも、行動にも、なにもかもあいまいだ。「生」の中で対比するものとして「死」がある。「死」は必ず自らの五感の外に存在している。五感そのものだと死んでしまう。結局、対比の中で認識するしかないのだと思う。
映画はとてもシンプルだが難しい。時間軸が様々に差し挟まれて進行していくために謎が明らかになるような感じが出ている。これがきっと正常な時間軸で進行していったらつまらないと思った。なぜなら、人の強い感情は必ず過去に残っていって、必ずその感情を思い出すときは過去の思い出とともに現在を過ごすからだ。想起という意味で正常な時間軸の中に違う時間軸を入れることで人の思いそのものに近い構造になっている。そういう意味でこの映画全体がひとつのリアルな思い出となっている。時折、サイレント映画を見ているかのようなシーンがあった。切ないアコーディオンの調べに悲痛な思いが深く重なっていく様子が、より深さを演出している。
人は脳で生きている。だからこそ脳が認識した世界がすべてだ。日本はそうじゃなかったが。
脳が地獄だと思えば地獄。天国だと思えば天国。繋がりは絶望も救いをも生んでいく。
暗さが強く残るような映画だが、非常に強い力を持った映画だと思う。そして見る人によっても、その思いは違ってくるだろう。
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2005年07月08日

隣のヒットマン



騙されたっちゃ!!
説明書きには確かに「ハードボイルド」と書かれている。パッケージも渋い。ジャッカルのブルース・ウィリスを思い浮かばせるような不敵な笑いの彼。なるほど、これは相当シビアな話に違いないと買ってみた。だがしかし、これって・・・これってコメディーだよ!!って気がついたけれど、時すでに遅し。実は「フレンズ」をあまり見たことがなかったので、マシュー・ペリーがそれに出ていることすら知らなかった。もし知っていたら、「これはもしかして、真面目な演技かも」なんて思って買ったところだが、やっぱり彼がいることによってすべてコメディーになっている。彼がもしいなければ、コメディーにはならないところが、本当にたった一人彼がいるためにすべてがコメディーになっている。彼の存在自体コメディーになっている。彼のすべてがコメディーになっている。彼=コメディーだよ!!
途中で出てくるアホそうなマフィアのボスが点数高い。「いかにも俺はアホです」っていう演技が相当点数を稼いでいるといってもいい。その中でもブルース・ウィリスは真剣そのもの。マシュー・ペリーがいなければシリアスな役柄になったはずだ。中に入っている特典映像でインタビューがあるが、その中でマシュー・ペリーが「ブルース・ウィリスは本当に何も知らない子供のようでどこにカメラがあるかもわからなかった。僕が教えてあげたら彼の演技は相当よくなったよ」と真顔で言う。もちろんドラマではなく映画の出演回数はブルース・ウィリスの方が断然上なのだからこれは嘘だとわかる。しかも隠し撮りじゃないんだから、目の前にカメラがあるセットも使うんだし、そりゃないでしょとは思ったが、このインタビューを見ても相当おちゃめだということがわかる。監督のインタビュー中にもちょっかいを出していた。
あ、男性の皆さん。途中で裸が出てきますよ。見事なプロポーション。でもちょっと変だなと思ったのは、同じ画面の中に男優さんがあまり写らない。そういうシーンは別々で撮っていて、あたかも人が目の前にいるように演技をしている。そこら辺はちょっと違和感があるかもしれない。どうやら続編もある様子。実力派俳優ブルース・ウィリスの微妙な感情表現がマシュー・ペリーのコメディータッチの演技と絡まっていくところは余計におかしく感じた一品でございました。

続編

ジャッカル

フレンズ
posted by ハヤブサ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

フレンチコネクション2



名優は作れない
前作とはうってかわって石原軍団が出ているドラマのように男くさい。
前回は「執念の追跡」だったのに対して、今回は「執念の演技」。
ジーン・ハックマンの役どころとしては非常に難しいはずなのに難なくこなしている。
監督さんの話を聞くに、彼はアドリブで演技をしてしまい、「カット」と言う必要がないくらい役そのものになりきっていると言う。
今回も下心満載の執念追跡刑事がマルセイユまで行ってしまうという話で、最初は言葉の壁があったり、外から来た刑事ということで邪険に扱われる。それでも体当たりで行ってしまうところは、自分がアメリカへ行った時を思い出してしまった。テレビを見ていた時にフランス語にふんふんとうなずいている彼を見て、「ああ、あるある」なんて共感してしまった。
今回アロハシャツなんか着ちゃったりと茶目っ気が出てたり、やっぱり今回でもナンパしたりとユーモア溢れる部分があるが、肝心の女性とのからみがカットされてしまっているとこと。とても気になった。・・・たく、誰だ!カットしたの!(監督ではないらしい)
説明にも書いてあるからばらすけれども途中で組織に捕まって薬付けにされます。その薬付けの状態を見事に演じきってるジーン・ハックマン。それでいて前回と180度変わった演技を求められても、役のイメージを見事に整えてます。これ、とっても見所。恐ろしいくらいの才能にあんぐりと口をあけてよだれが垂れるところだった。フランス人の刑事役がとっても素敵で、なんだかんだ邪険に扱いながらも力になっていって、少しずつ打ち解けていきます。薬漬けになって薬を抜いていく更正シーンが長かったりするけれど、ちっとも気にならない。むしろ「これから本当にどうなっちゃうんだろう」ってはらはらしちゃいます。
最後は「あぁ!?終わっちゃったよ!?」ってな感じですが、ちゃんと「リハビリ」もばっちりやっているのでよしとするかな。よくあれだけ走れたなぁ。前回に比べて建物が入り組んでいるので直線距離は少ないです。はい。
マルセイユは物騒な街らしいので気をつけてください。

フレンチコネクションをセットで
posted by ハヤブサ at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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