2005年11月19日

TAKESHI’S

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今さらながら見てきましたよ。
感想はと言うと、驚いた・・・本当に驚いた。
北野武という人間の深層心理そのものが映画の中で展開されています。
映画を見ながら背筋のあたりがゾクゾクしたのは、監督の「記憶」と「夢」への集中力の高さと、己の深層心理を自ら暴露させるほどの覚悟に圧倒されてしまったのです。
普通、そこまでやっちゃったら「死ぬ覚悟」なんてもうできてるんじゃないのかなとも感じてしまいました。

「もうおいらには隠すものなんてないぞ」

というすさまじさまで感じさせる。
現実と虚構がすさまじく入り乱れているけれど、一言で言うとこの映画は「夢」ですね。
監督本人は「実物像とは違う」とコメントしているけれど、映画の中で象徴的なセリフやシーンが出てきて、今までの「北野武の人生」をどこか思い起こさせます。

人は夢を見ますね。
ほとんどの夢が起きても忘れてしまうのは、それを「現実として認識する」と、文字通り現実と幻想の境目がわからなくなっておかしくなるからです。
「夢」っていうのは、記憶の再整理みたいなことがされていて、つまり整理されている途中は、断片的な記憶の欠片がごちゃごちゃになってくっつきあって、ありえないような夢を見たりします。
そこには心理的なストレスが象徴として出たり、過去に体験した脅迫めいた映像も混ぜられたりします。
その「夢を見る」という作業を具現化したのがこの映画。
映画の内容は鏡に映ったもう一人の自分を描いていくように展開しています。
鏡の向こう側の世界にいるもう一人の「たけし」と現実世界にいるたけしの二人です。
その二人が「夢」のような虚構の世界へダイブしていくものだから、見ている人のほとんどはほとんど理解できないかなとは思いました。
夢の中の夢の中の夢の中の・・・
となるものだから、ちんぷんかんぷん。
それで戻ってきたのは本当に現実なのかというもの。

自分もこの「夢の中の夢の中の・・・」テーマで話作ろうとしたけれど、作る側も相当難解で、この映画を見たとき、
「心の中、大丈夫だったかな」
と心配になりました。
それほど作るのは楽じゃないし、精神状態も不安定になる。
特に自分の中の深層心理的なものを浮き彫りにさせる作業は、下手をしたら死にまで足を突っ込む可能性すらある。

映画は全体的に「不安げ」です。
岸本加世子が「不安の象徴」として出てきます。
裏のたけしが「不満の象徴」として出てきます。

見てて、凄く悲しくなってきたのは確か。
孤独で、不満げで、破壊的で、創造的で、虚無的で、現実社会に対するひとつのアンチテーゼの塊のようであって、ユーモアがある。
裏のたけしが「力を持って不満を爆発」させるところは、皮肉的なメッセージのようにも思えます。
考えてくださいというよりも、「見ろよお前ら」という映画。

螺旋構造で落とされていく感じが強い、新しいイメージだなと思いました。
できるならば監督の著作を読んでいただければもっと映画のシーンの象徴性がわかってくると思います。


posted by ハヤブサ at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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