2005年07月21日

きっと君は泣く

発行:角川文庫

女であるということ
 「女」であることを作り出し、それを武器にしていく主人公。「女」への固執が整形などの外見的な「美」へと走らせたこの主人公の対比として「大魔神」と呼ばれるブス女が出てくる。「女」は女で生まれたときから「女」というわけではない。「女」は自ら創り上げていくものだという作者のメッセージがくみ取れる。ブスは自分への手入れすらしようとしないからブスなんだということだ。この主人公はけっこう辛辣。私が書いたりしたら反発を買いそうだが、女性が書いているので反発の気持ちが薄れる。説得力も出てくる。自分への卑屈な気持ちを持った人間はその卑屈さを時として武器にするが、私はそれは醜いことだと思っている。本人にとっても諸刃の剣のはずだ。お互い反発しあう二人がどことなく打ち解けていく過程もおもしろい。
 この主人公、ちょっとバカっぽい主人公なのだが、その主人公の最大の欠点もこの話の中で出てくる。それは「想像力」である。
 どことなく腹の立つ人間のほとんどは自己中心的である。自己中心的である最大の原因は自分のことしか考えられないからである。それは明らかに周囲の状況や心情を思い浮かべるだけの想像力が欠如している。あくまで周囲の状況から自分のことだけを考えているのが自己中なのだ。
 鏡の話が出てくる。鏡はありのままの姿を映すという。
「どの写真を見ても、あんまりよく写ってないとか文句言うだろ。写真も一緒だ。〜他人が見たとおりに写ってるんだよ。違うと思ってんのはお前だけだ」

 ほとんどこの主人公、手段を問わないような都合のよさが垣間見える女だが、それでも最後には欠けていた一片を見つけたようなところが印象深い。さて、彼女が見つけたのはなんだったのでしょうか。
posted by ハヤブサ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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