2005年07月09日

21g



あの三人だからできました♪
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの三人が主軸となって進行していくドラマ。
交通事故によって不幸な形で繋がれる三人なのだが、全体的に画面のトーンが落ちて配色を濃くしているために、わざとざらつかせている画面がひときわ目立つ。そのためにドキュメンタリー映像を撮っているような感覚が出る。カメラワークも人の視点を重視し、目で追っている感じが強い。とてもリアルに感じる。上記の三人はアカデミー賞クラスの俳優。だからこそ、よりリアルさが出る。画面に出てくる人たちは皆「人間臭い」。というのも、感情の噴出具合が並じゃない。何十色もの色がころころと変わるように目まぐるしい。「喪失」「憎しみ」「救い」「罪悪」「愛」「繋がり」様々な思いが爆発的に散っていくようだ。
正直に言ってこの映画を切り取れるほどの知恵や経験が私にはない。人は誰かが死ぬと21g軽くなるといわれている。一体何を失ったのか。何を得たのか。
私の身近な死は中学一年の時に祖父が交通事故で亡くなった。自分が傷ついているということは他人に指摘されて始めて理解した。自分が自分じゃなくなってしまう感覚というのは、自分が明るくつとめていると思っていてもひどく傷ついて暗い様子がありありと出てしまうことだろう。ナオミ・ワッツは薬に逃げ、ベネチオ・デル・トロは信仰に逃げた。だがはたしてそれは逃げなのか。人生に逃げなんてあるのだろうか。人はどんな条件であろうと生きていかなければいけない。人生は、逃げても生きていかなければいけない。人生において逃げはないのだ。
誰もが弱い。そして弱さと向き合い、時には立ち向かおうとする。私がこの数年で得たことは、自分がいかに弱いかだった。だが、人がいかに弱いかというところまでは確信がもてない。他人はきっと自分より強いのだろうという漠然とした思いがある。
経験から得ていくのが人間だ。確かにそうだが、何も得ようとしない人間もいる。そういう人間は人生そのものが不幸だ。なぜなら人生に意味や意義を見出さなければ「生」そのものが本当には生きてこない。人間には数々の曖昧さがある。人間の感情にも、行動にも、なにもかもあいまいだ。「生」の中で対比するものとして「死」がある。「死」は必ず自らの五感の外に存在している。五感そのものだと死んでしまう。結局、対比の中で認識するしかないのだと思う。
映画はとてもシンプルだが難しい。時間軸が様々に差し挟まれて進行していくために謎が明らかになるような感じが出ている。これがきっと正常な時間軸で進行していったらつまらないと思った。なぜなら、人の強い感情は必ず過去に残っていって、必ずその感情を思い出すときは過去の思い出とともに現在を過ごすからだ。想起という意味で正常な時間軸の中に違う時間軸を入れることで人の思いそのものに近い構造になっている。そういう意味でこの映画全体がひとつのリアルな思い出となっている。時折、サイレント映画を見ているかのようなシーンがあった。切ないアコーディオンの調べに悲痛な思いが深く重なっていく様子が、より深さを演出している。
人は脳で生きている。だからこそ脳が認識した世界がすべてだ。日本はそうじゃなかったが。
脳が地獄だと思えば地獄。天国だと思えば天国。繋がりは絶望も救いをも生んでいく。
暗さが強く残るような映画だが、非常に強い力を持った映画だと思う。そして見る人によっても、その思いは違ってくるだろう。
posted by ハヤブサ at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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