2005年05月29日

泳ぐのに、安全でも適切でもありません

発行:集英社

マシュマロのような恋愛事情
とても不思議な感じがする。十人の女性の主観的な視点から、男女の事情を書いているはずなのだが、鋭利な感じはまったく受けず、とても柔らかだ。まるでこの小説の空間隅々まで「江國香織」という液体で満たされている。しかもその液体はとても柔らかく、弾力性のあるものだ。なんとも表現しがたく、それでいてしっかりしているような感じがとても変な感触を自分に味合わせる。読む人が読むとてもつまらなく感じるかもしれない。でもその「つまらなさ」というのは、「斬新で鋭利で生々しい恋愛事情」というものを文字そのものに期待しているせいではないのだろうか。この作品には直接的にはそのような印象は受けない。あらゆるものが優しく包み込まれているせいで、生々しく鋭利なことがとても暗喩的に表現されている。そこがとても不思議な感触を受ける原因だと思う。

以下、各ストーリー

「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」
 体に溺れるというほどでもないのだが、体の相性がいい男で、ダメ男で、でも離れられないという女が出てくる。表題の文字は私たちの人生に立てておいて欲しいということだが、「危険、泳ぐな」と書いてあるよりも、まだ泳ぎの達者な人物なら泳げそうな雰囲気が感じ取れる。アメリカとなると自己責任重視なので、「泳いでもいいが、死ぬかもしれないし、警告はしたよ」という立て札なのだろう。命の危機も中には登場したのだが、この「なんとかやっていけるのではないか」という雰囲気が感じられる話だった。

「うんとお腹をすかせてきてね」
 一緒にいると安心できて食ももりもり進む。どうにも私は食べるという行為と性行為とが一緒になるととてもエロチックな印象を受ける。どちらも仏教で言う五欲の中に入っている。食事には色がある。色とりどりの食物を平らげ、咀嚼する。唾液と言う分泌液がで、体の中で化学変化を起こして吸収されていく。セックスもお互いが濡れ、感情の交換を起こし、体の中で何らかの変化をもたらす。料理に彩られる「色」と欲そのものを表す「色」はまったく同じ字を使う。もし、お腹がとてもすいていてはセックスどころじゃないと思う。食欲を満たし、性欲を満たし、そして睡眠欲を満たしたら、五欲のうち三欲も制覇するではないか。あまりにも贅沢で満ち足りている。その上、お互いに対する飢えが残るのはこれ以上ないほどの欲情ではないか。だからこそ最後の数行が効いてくるのだと思う。

「サマーブランケット」
 思い出を包むことの比喩に近い。人は誰しも大事な時間へと戻ろうとする。そしてそれが壊されないように大事に守ろうとする。たとえ他人からそのことが愚かだと言われようと。人はお互い事情を抱えているものだ。他人から幸せそうに見えるあの人が実はなんてことはよくある。秘密を抱えた人間は、時として神秘的に見えるのだ。それはきっと身にまとっている時間が他人とは少し違うせいだろう。

「りんご追分」
 非日常の空間は日常を忘れさせてくれる。だからそこへ行きたくなる。安心するのは、何も考えなくていいし、気を使わなくていいから。気弱な男を責めるたびに自己嫌悪に陥ってしまう女。人は何がきっかけで現実を真剣に考え出すかわからない。それまでは「なんとなく」があって、きっと何も考えていないのだ。夢を見ていたのかのような感覚になってしまう。そしてその夢にある程度の決別をする勇気も、突然に訪れたりするものだ。

「うしなう」
 人には誰しも喪失があって、喪失のたびに成長していくのだろうと思う。ただしその喪失を乗り越えた人だけが成長する。色々と喪失への接し方はあるが、静かに見守るような、手の届かない遠い幻のような雰囲気がある。それがボーリングレーンの比喩。少し物悲しい。

「ジェーン」
 好きでもないような男と一緒にいる女は本当に幸せなのだろうかと考えてしまう。誰にとっても幸福やきっかけはいつ何時訪れるかわからない。だから一方的にその付き合いは悪い付き合いですよとは言えない。主張もあまりない、なんとなく今を生きている、それでいて先のことはあまり考えない。個人的にはこのタイプの人間が苦手なのだ。皆さんは「ありのまま」を生きていますか?

「動物園」
 愛しているけれど、何でも許せるけれど、たった一つだけ相手と価値観が正反対だった場合、このような事態が起きてしまうのではないだろうか。価値観と合わないものがお互いの間に挟まってしまった場合、挟まってしまったものを不幸の対象だと思う側は逃げていってしまう。動物は檻の中の環境でやっていっている。人間の事情もそれぞれの環境でそれぞれやっていく。完全にはすれ違わないまでも、繋がろうとし、そして離れようとする。相反する二つの感情の中で、元の場所に収まってしまう。動物園の動物と人間がたいして変わらないように思えてくる。

「犬小屋」
 犬小屋が気に入ってそこで暮らそうとするなんてよっぽど嫌なことがあったとしか思えない。女の側から見て、大好きな男にある日突然こんな真似をされたら喧嘩どころの騒ぎじゃなくなる。だって好きだからかまって欲しいでしょ。しかし喧嘩が起こらなく、たんたんと時間がすぎるところが穏やかすぎる。自分以外の好きな人ができたのではないかと疑うのだが、チューリップを引き合いに出して、
「日が当たっているからってあんなにそっくり返って、くるったみたいに開ききっちゃって」
「日なんてすぐ翳っちゃうんだから」

というセリフが出てくる。つまり「犬は犬小屋に戻る」ということか。まあ、「本当に好きな人の元に愛情は自然に戻っていくものよ」と解釈すれば柔らかくなるか。

「十日間の死」
 まるで幻だった男。信頼がもろくも崩れ去る瞬間を見ると、信じることがバカらしくなる。だが逆に信じる行為がなければ何も始まらない。淋しい人生を送るだけ。傷心中の人間にはどんな言葉も届かず、傷を癒す時間が必要なのだ。何百万馬力も使って突っ走っていなければいえてしまいそうな恋だったのかもしれない。

「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」
 体が彼を求めるほどに愛している。生活の中で日常に生きる自分を見つめる視点が暖かい。どこかに矛盾を感じつつも、そこから否定しきれない感情がほわっと浮かんでくる。その感情がきっと優しい日常をつくり、そして優しい時間の中で生きる自分を作り出しているのだろうと思った。
posted by ハヤブサ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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