2005年05月02日

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション(上)






※注意:推理小説というジャンルに関しては、読む前のネタばれを恐れる人がいるので、気にしない人だけ見てください

宮部みゆきさんの解説つきの短篇集。当時の編集者の文が最後に寄せられています。私は松本清張さんのからりとして、鋭利な文章が大好きですが、それは並外れた直観力と情報分析からきてるのですね。彼が生きていたらオウムや9.11をどのように見たのか、と宮部さんも当時の編集者も口をそろえたように書いています。この情報化社会。まるで過去が一気に流されてしまうようにどんどん消えていきます。しかし、当事者はこの事件を忘れたくとも忘れられないでしょう。傍観者は体験者と違って、知っているようで、ただ知っているふりをしているだけというのが傍観者なのでしょう。そこへひとつ「観察者」というのが存在してくるわけです。「あれは一体なんだったのか」を様々な資料や、強いようでもろい意思の方向性、人間の弱さ、そういうものから端的にずばずばと書いていくのが松本清張という作家のような気がします。今も苦しむ当事者をかの作家は一体どのように描いたのか、どのように見つめたであろうか、そんな彼の姿と視点を想像するのも楽しいかもしれません。

以下、
「一年半待て」
「理外の理」
「真贋の森」

「一年半待て」
何年かぶりにじとり、と冷たい感触が体を吹き巡った。これは刑事訴訟法の盲点と言うよりも、「我々が正義だと思っていることが、最初から悪だったら」という恐ろしい可能性を示している。我々が絶対に正しいと思って行っていることに対しては、自分から不信感を持つことなんて100%ありえない。特にこれは「他人に何らかの影響を与える行動をする場合」に強く言えるが、「たったひとつの真実のために、最初からその正義が悪だった」ということは、日常でもあると思う。思い当たらないだろうか?
人間は常に自分を確認している。だからこそ言わずにはいられない。そうして自分が正しいことを確認して、己の価値を保っている、己の精神を保っている、そんな行為は意識しなくてもやっているのだ。特に「信念」というものを持った場合、その信念のあるがままに「悪」を行うと言うことはよくあることなのだ。
人は生まれながらに罪を背負っていると思うのは、やはり他人によいにしろ悪いにしろ影響を与えられずにはすまないからであると思う。大事なのは己を顧み、時に戒めることだと思う。

「理外の理」
清張ぶしとも言おうか、彼の作品は動悸と状況説明がまるで新聞記事のようにからりとしていて、かつ心の盲点を見事についている。各々の心理の動きや各々の立場が明確で相容れることがない。人間とは結局分かり合えぬものなのかもしれない。
宮部さんの解説で、
「いや、あの女はわたしから逃げましたよ」
と、あっさり言った。

の部分が恐怖の伏線となっていると説明してあるが、このセリフがあるせいで動悸がもっとどろどろとしたものではなく、何か純粋にすっと、それでいてピンと張った狂気を示しているのではないだろうかと思った。最初はどうにも気にしなかったのだが、よく考えてみると殺人の動機として、これだけからりとしたものを感じさせること自体恐ろしいことなのだと後で気がついた。迷いも何もなく、意思の強さもなく、ただ「無」に近い何かを感じさせる。

「真贋の森」
しかし、作品の鑑定に学者的な粗笨な眼がどれだけ真贋を見分け得るか。鑑定は飽くまでも具体的でなければならぬ。それには豊富な鑑賞体験と、厳しい目の鍛錬が必要なのだ。直感でものを云うのは容易である。が、直感は何をもって基準とするか。それは観念的な学問からは割り出せない。もともと、実証は即物性で、職人的な技術を方法とするものなのだ。本浦博士の悪口は、己れの劣弱感をそんなかたちで裏返して云ったとしか思えない。

まるまる引用してしまったが、松本清張さんは作品というものに対して、本物と偽者とがわかる目をもってして始めて作品に対する敬意が示せるのだ、とそう言っているように感じる。私なんかが書評をやっていて、これを言われてしまっては本当に一文字も書けなくなるけれど、様々なものに対しても同じようなことが言える。要するに「生半可で物事を判断することは侮辱に当たる」ということだ。この話は「絵」に関してのことだが、多くの人間は「己の直感のみを基準にして」物事を言う。たいていの発言には発言への裏づけや経験がない。だからこそ信用に値しない発言であるし、役に立たない発言である。たまに価値のある発言もあるが、それを見抜く力も要求される。ほとんどが役に立たない情報で、ノイズにしかならない情報がちまたには溢れている。こんな時代、情報の真偽を見分ける力も日常的に要求されていることが言える。これはこの話とは違って、「己を守るため」に必要な力であることは言うまでもない。この話、騙す話なのだが、やはり思い当たる。
「無知だと騙されるがまま」なのだ。
posted by ハヤブサ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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