2006年02月14日

人は見た目が9割

発行:新潮新書

ノンバーバル・コミュニケーション?
 色、仕草、形など、「視覚情報」がいかに感情や考えを左右しているか、その影響を心理学的背景から説明している本。言語が7%しか物事を伝えていないのに対して、ノンバーバル・コミュニケーション(言語以外の伝達)は残りの93%を伝えている。また、「間」や「嗅覚」に関することにも触れている。見た目が左右する人の心を考察することで、自分や他人が見えてきます。著者は『哲也 雀聖と呼ばれた男』の原作者(筆名:さい ふうめい)で、漫画を使った人間のデフォルメ講座もまたおもしろい。

 我々は知らず知らずのうちに見た目で左右されている。時としてそれは自分への自信のなさに現れたり、他人をなんとなく信じてしまったり、見た目を制御することで自分を自信のある人物に見せかけたり、かわいく見せかけたり、知的そうな人に見せかけたりする。別に誰に教えられたわけではなく、人には見た目から発生する「先入観」にとらわれる。そしてその「先入観」は真実を大きく見誤らせるということをこの本は示している。

 
 心理学の分野ではこの手の本はいっぱいあって、より細かく解説している。この本は仕草が現す心理的な動きや意味を広く浅く解説している。身近にあることばかりなので、変な勘ぐりさえしなければ「思いやり」という部分にも応用できる。漫画での解説があるが、漫画は物を強調して視覚に訴えてくるものなので、表情や雰囲気、形が与える影響などがよくわかる。アマゾンのレビューでは酷評が多く、目新しい内容もなく、突っ込んだ内容もなく、無難で薄い印象しか残らないという意見が多い。実際この本では触れてはいなかったが広告などのメディアでは「見た目」で押し切ることが多い。またテレビも見ることが多々あるだろう。漫画での解説が主だが、テレビ画面の構図もまた漫画理論から応用できる。どこでどのようなプロパガンダを受けているか、我々はなかなか気がつかなかったりする。本を真に受けるのではなく、少し応用して考えていただければそれほど薄っぺらい本ではないと思う。もしより突っ込んだ本が読みたければ心理学コーナーの本にわかりやすく仕草や色などに関する書籍が見つかるのでそちらをお勧めします。漫画の解説が半分近くを占めているのでタイトルから受ける印象とはどうも一致しない内容だとは思った。

 途中で外国と日本とのノンバーバル・コミュニケーション比較があるが、私はこの部分はとても注目した。特に日本は内的文化を発達させてきた国であるが、それが現代では、「自分の都合のいいように歪曲」されているように思う。それは、例えば「語らずとも察せよ」ということは他人には要求するが自分ではしない。「阿吽(あうん)の呼吸」を要求するがコミュニケーションはしない。はっきり言って、とんでもない勘違いだと思う。特に「阿吽の呼吸」や「語らずとも察せよ」というのは、そうとう熟練した人がなしえる、一種の「技」だ。よほどの高等技術と言っていい。サーカスのブランコからもう一方のブランコにぶら下がっている人の手へと飛び移るのが「阿吽の呼吸」だ。ああいうのは、お互い練習やコミュニケーションをとりつくして、ようやく「語らずとも察せられる」領域へと到達するのだ。そこに至るまでには、とにかく主張するしかない。特に欧米では「沈黙」は大変よくない印象を与える。「察せよ」という文化よりも、衝突しあって理解していく文化なので日本とはスタイルが逆だ。P.105に「日本人は、ことを荒立てなくても、結果は同じという意識が強い。やり過ごせるなら、その方がいい」という言葉があったが「ことなかれ主義」はあると思った。司馬遼太郎の『峠』の中にも「自重せよ ―世間にはそういう無駄な言葉が多い。たがいに相手の皮膚をなであうようなやりとりをしている」という文がある。昔からの日本人の癖なのであろう。

 私はいつも思うのだが、義務教育からディスカッションの授業を入れたほうがいいと思う。それは価値観がぶつかり合った時に、言語だけでは解決しきれないものをディスカッションによって多く学ばせるべきであろうと思うからだ。その重要性は円滑な社会を作るためにも欠かすことができない。人と人は同じではない。違うもの同士だ。だからこそ、言語以外の衝突から学ぶものは大きい。その「言語以外の衝突」にまつわる部分を、大人になってからやりだすと、まったくひどいものになる。大はテレビでの政治家同士の衝突から、小は会社・家族内での衝突まである。「自分の意見を言っておしまい」「相手を論破する」「認めない」それがディスカッションの最大の目的であるという下劣な文化が横行してしまっている今日、この末期的な症状を解決するには教育からしっかり叩き込むしかない。「説得」と「論破」は違う。人間活動には「創造」がなければならないというのが私の持論だ。「創造」は「協力」あってこそなしえる業だ。自分ひとりではできない。

 ノンバーバル・コミュニケーションが9割とは言っているが、いわゆる五感に関する話だ。だけれど、現在の生活の中では五感に関する経験は少しずつ失われている。臭いに対しての経験、感触に対しての経験、音に対しての経験、味覚に対しての経験。消臭剤、ネットなどに見られるメディア、電子音、コンビニ・レトルト弁当。多様性があるように見えて、実は画一的になっている。情報だけは知っていて、現実を体験したことはない。これが当たり前になっている。そんな「不自然な世界」を「自然」だと思い込んでいるのだから、おかしくなるのは当たり前だ。当然のごとくそういう人間は「情報」と「現実」の区別がない。で、ちょっとしつこいようだけれど、「生の経験を学ばせる」ためにも「ディスカッション授業」は絶対必要ですよと改めて言いたい。

 最後の方では、沈黙などに含まれる「間」の情報。マナーがどれほど重要なコミュニケーションかなども説明している。最近は沈黙ができると気まずくなったり、マナーが気恥ずかしくて自分からできないといった人がいる。若者よ、マナーと沈黙は大事なのですよ。この本はタイトルと内容がずれているために誤解されやすいが、結局結論として私が言うならば「五感情報を生の体験から鍛えよ」ということでしょうか。
posted by ハヤブサ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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