2005年07月31日

ロード・トゥ・パーディション



親父とはかくあるべし
 ポール・ニューマンという銀幕においての伝説のスターと並んで引けを取らないほどのトム・ハンクスの演技が最高の一品でございます。説明書きにもあるように「ギャング映画」とはあるものの、いわゆるダークでねちねちしたような部分はない。と、言っても殺害シーンは多々ある。それもえげつないほどの描写ではない。それほど暗い感じを受けないのは息子が出てくるせいだろうとは思うが、この映画には二人の父親が出てくる。ポール・ニューマンとトム・ハンクスなのだが、対照的な親として描かれている。もちろん子供も対照的だ。どちらの子供も親を愛していると言う点では同じだが、どうにもポール・ニューマンの息子は出来が悪いということで描かれる。やはり古今を問わず、子供は自分よりも、他の誰かをより愛していると感じた時、激しい憎悪と嫉妬とともにぐれるものだが、やはりこの映画の子供も見事にぐれている。ぐれている、という表現はぴったりではないかもしれないが、写し方もシナリオも嫉妬を描いている。
 一方、トム・ハンクスだが、子供がわりとさばさばしている。まあ、家族を殺されて逆に悲痛のどん底にいたのならば話はがらりと違ってくるのだろうが、そのさばさばしたところや振る舞いが逆に話しにユーモアを与えている。しかし、トム・ハンクスという役者さんは人に愛されるべくして生まれてきた役者のようにも思える。コメディーからシリアスまでなんでもこなしてしまうのですね。演技も相当細かく、人間味豊かで叙情的だ。動きだけであれだけできる役者もいない。
 最後の方でポール・ニューマンが雨の中で振り向くシーンがあったが、鳥肌が立った。最初映画館で見たときは、「ああ、この人は映画のために生まれてきた人なんだ」とつくづく思ったものだった。
 ジュード・ロウ。殺し屋の役で出てくる。「A.I.」でのジゴロ・ジョーやスターリングラードなどといったジュード・ロウを知っているのならばちょっとびっくりするかもしれない。猫背で髪が薄くて怪しげな死体写真家のこの役を見たならば、ジュード・ロウのイメージもがらりと変わるはず。不気味で、執拗な暗殺者に身の毛もよだつ思いがするであろう。彼の髪、わざわざ一本一本こまめに切って薄くしたそうだ。つまりズラ使用ではない。カツラで代用してもそれほど不自然には見えないはずなのだが、そこまでやる役者魂に感動した。途中のレストランでコーヒーに砂糖入れすぎですよ!どうやらこの暗殺者は甘党のようだ。
 最初と最後のシーンで同じセリフが使われる。子供が親を見る視点は同じで「尊敬の念」がある。が、子供が自分自身を見る目が違うように思える。父を誇りに思うのか、それとも邪魔っぽく思うか。何故違ってきてしまったのだろうと、対照の親子を描く映画を見るときにいつも考えてしまう。父親はそこにいるというよりも、もっと子に対して示唆を与えるべきなのではないのか。尊敬すべき親がこの心に宿ると子は立派に育つと思う。最初と最後のセリフの意味を深く考えておきたい。
 役者の演技が相当細かいので注意して演技を見ていないと感情表現の多くを見逃すが、それだけにこの映画の凄いところは「細かな動き」で「感情」を魅せているところだ。それをセリフに凝縮させている。
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2005年07月26日

時計仕掛けのオレンジ



世界はこの原理でできている
排他的で、暴力的で、享楽的で、センセーショナルな主人公が暴れる暴れる。
セックスや暴力、己の快楽に忠実に生きているアレックスくんなものだから、映像も見る人にとってはえぐい。
もちろんそういうシーンがたくさん出てくる。
この映画の中には造語がたくさん出てくる。
日本語が奇妙に変形して造語が作られるように、この映画の中でも英語や固有名詞が変形したりしてある意味を持ったりしている。
とにかく新しく強烈なイメージなのだろうが、原理は古い。
というのも、いつの時代にも人間の営みがある限り「本能」とは切っては切れない。
例えば男ならばセックスが嫌いで女性の体も好きじゃないとなればちょっと病気だと思ったほうがいいし、そうでなくても実生活で「便利」や「快適さ」や「出世欲」や「充実感」「食欲」などといった、言葉では具体的には限定できない精神的欲求を満たす行為はつまり、他者の精神的欲求を奪うというアンチテーゼを含む。もしこのことがわからないのならば、あまりにも他人があなたに提供している様々なことを考えたことがない人だろう。これが大きなサイクルであり、大自然の法則でもあるが、その循環システムは人間の中にも数多く存在している。奪ったものは、結局奪われたまま返ってくるということだ。
この映画の中では様々な命題が含まれるが、ひとつだけでまとめるとすれば「人間社会の中で真に道徳的な状態はありえるか」ということなのだが、犯罪人を強制する段階で条件反射で心を強制する。つまり、犯罪のイメージと肉体的苦痛を結び合わせて、犯罪的行為を行う時に体に苦痛が起きるように体内に教え込ませることで道徳的な人間を作ると言うことなのだが、手段からして道徳的ではないということなのだ。
セリフの中にもあるが、選択の自由が奪われる人間を創り上げることは道徳的といえるのかとある。ここで一つ考えて欲しい。映画の中ではナチの映像も出てくるのだが、ヒトラーは人権を奪った。ユダヤ人を大量虐殺した。アーリア人への混血を嫌悪した。そして逆説的に他者から自由を奪って欲求を満たした。詳しいバックグラウンドの説明はよすが、簡単に言うと、支配の中には自由はない。さあ、理性的な社会の中と、人の欲求の中には選択肢はあるかという問題だ。私はあるようでないと思う。結局人々が望む枠内で収まる。それは自由なのだろうか。自由とはなんだろうか。これ以上はよす。
せっかく道徳的な行為を強制的にしろ行えるようになった主人公は、以前の数々の悪行に対して人々からその報いを受けろとばかりに仕返しをされる。ここでもひとつ問題がある。私は常々思っているのだが、腐ったみかん箱の中に新しいみかんを入れてもただ腐るだけだという持論がある。ラストのシーンまで向けてはたして犯罪を行っているのは誰なのかというのが大きな問題だ。
この世は常に人間のよこしまな感情で動いているのだ。
我々は気付かなくとも残酷な行為をして生き延びているということを忘れてはいけない。

難しい話をしたかもしれないけれど、これは今見てもおもしろいかも。
ただ一番最初に言ったとおり、暴力的なシーンとセックスシーンがあるためにえぐく感じる人がいるのも確かだから、苦手な人は止めた方がいい。
撮り方も音楽の使い方もキューブリックという監督は天才の域を極めていると言っていい。
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2005年07月23日

カンフーハッスル



見た目じゃないのよ。人は。
 少林サッカーよりもこちらの方がおもしろいかもしれない。ただ、雰囲気もがらっと変えて、本場のアクションが満載なのでギャグっぽいところもジャッキーのアクションみたく真面目に見入ってしまう。こちらの方が完成度は高い。CGもうまい。ドラゴンボールのような感覚で見れる。少林サッカーとキャストがだぶっているので、最初は「え?つづきものか?」なんて思ってしまいますが別の話です。セリフもちょっと引っ掛けてあったりして間違ったんですよ。
 前作で私がネックに感じていたような、各キャラクターの活躍も非常に生かされていて私自身は高得点あげたい。各キャラクターの感情表現も豊かです。やっぱり最強とは見た目にあらず、オーラであるということがわかるのです。いかにもハゲ頭のヅラかぶったカトちゃんみたいなおやじが出てくるのだがそれがラストボス。鋼鉄の扉を開けたときに「あんたも好きねぇ」なんて言っちゃったらもう完全にコントになった。
 やっぱりこの作品でも泣き場を盛り込んでます。「ええ!?そうだったのか」と衝撃の事実がどかんときて涙腺の弱いあなたは涙すること間違いなし。まあ、あれだけキャラクターが濃くてギャグばっかりやってるのに、あまり笑わなかったのはアクションを生身でやっているせいだと思う。ついにここまでやったかという感じです。オススメ。

少林サッカーとセットで購入
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2005年07月22日

小林サッカー



キャプテン翼!?
 アニメ版キャプテン翼をばかばかしくしたような映画。あまりにも突っ込みどころが多すぎて逆にどこから最初に突っ込んでいいやら迷う。全編ナンセンス映画。なぜか真面目に見入ると、感動してしまう。どうしようこれ、って思ってしまうほどに笑う。アクションあり、笑いあり、恋あり、感動あり。子役の意味不明な作曲家が本当にわけわかんないって。壮大なコントを映画でやっている。バカは伝染するのだ。おもしろい。
 ただ、残念な点がたくさんある。それはあまりにも特殊効果に頼りすぎたために、人物への感情移入が薄れた点。それと脚本と映し方のミスだが、主役が出すぎてしまって(存在感がありすぎる役者だったから逆にそれがネックになった)、せっかくいい脇役がたくさんいるのに主役に押されて気配が薄れたということ。これはチームプレーと言うサッカーを主題にした映画を映すにあたって致命的。画面構成がいまいち悪く、「サッカー」という競技そのもののおもしろさが完全に薄れてしまった点。例えば、私はそれほどサッカーには詳しくないが、スペインリーグの決勝戦なんかは迫力、臨場感ともに群を抜いている。役者の技術的には格段に難しい演技になるが、アップではなく、カメラを引いてボールがどのようになっているかをちゃんと映す。周囲の人物のカットも入れつつボールへのそれぞれの動きをうまく表現できればもっと試合シーンは格段におもしろくなったと思う。最後の的の人造人間(違)、本当の少林寺拳法の使い手らしい。うん。目つきが違う。恐ろしい。鬼教官らしい。
 監督さんは、主役のチャウ・シンチー。ぜひ日本が誇る熱血サッカーアニメ、「キャプテン翼」を彼に見てもらいたいと私は思うのでありました。

あ、宣伝だけれども、私も最近バカ記事を書いています。
気ままな妖精のようなふてくされよう
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2005年07月21日

きっと君は泣く

発行:角川文庫

女であるということ
 「女」であることを作り出し、それを武器にしていく主人公。「女」への固執が整形などの外見的な「美」へと走らせたこの主人公の対比として「大魔神」と呼ばれるブス女が出てくる。「女」は女で生まれたときから「女」というわけではない。「女」は自ら創り上げていくものだという作者のメッセージがくみ取れる。ブスは自分への手入れすらしようとしないからブスなんだということだ。この主人公はけっこう辛辣。私が書いたりしたら反発を買いそうだが、女性が書いているので反発の気持ちが薄れる。説得力も出てくる。自分への卑屈な気持ちを持った人間はその卑屈さを時として武器にするが、私はそれは醜いことだと思っている。本人にとっても諸刃の剣のはずだ。お互い反発しあう二人がどことなく打ち解けていく過程もおもしろい。
 この主人公、ちょっとバカっぽい主人公なのだが、その主人公の最大の欠点もこの話の中で出てくる。それは「想像力」である。
 どことなく腹の立つ人間のほとんどは自己中心的である。自己中心的である最大の原因は自分のことしか考えられないからである。それは明らかに周囲の状況や心情を思い浮かべるだけの想像力が欠如している。あくまで周囲の状況から自分のことだけを考えているのが自己中なのだ。
 鏡の話が出てくる。鏡はありのままの姿を映すという。
「どの写真を見ても、あんまりよく写ってないとか文句言うだろ。写真も一緒だ。〜他人が見たとおりに写ってるんだよ。違うと思ってんのはお前だけだ」

 ほとんどこの主人公、手段を問わないような都合のよさが垣間見える女だが、それでも最後には欠けていた一片を見つけたようなところが印象深い。さて、彼女が見つけたのはなんだったのでしょうか。
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ナチュラル

発行:幻冬舎

最も自然なもの
 まるで箱庭劇のように話は進む。一人の女性を中心として二人の男性との性の繋がりと三角関係とを通してそれぞれの心情を浮き彫りにしていく。
 いわゆる不倫だったりと大人の事情が垣間見えるが、むしろ主人公はそんな事気にしていない。刹那的よりもむしろ温かみを求めて居心地のよさだけを感じているようにも思える。
 最も自然な男女の繋がりはなんなのだろうか。私にははっきりとは断言できないが、ここでは性での繋がりを強調している。すでに妻子のいる彼氏に比べ「俺の子供を産め」という浮気相手が対照的だ。主人公のセリフがことごとく主人公を照らし出しているのが大変皮肉だった。
 理性的なものよりももっと本能的なのが身体だ。体が性を覚えていてそこから感情が揺れ動く。脳よりも体が条件反射で動く。最初に犬のことがでるが、まさにこの主人公は躾された犬を象徴するかのようだった。誰かの「ナチュラル」に従うこと。己の「ナチュラル」に従うこと。求めるものと与えるものが一致すれば互いに離れられなくなる。それは自然に起こってしまうことのように思える。一方の関係では秘密を守り、一方の関係でもどうどうとしつつも彼の家庭へは踏み込めない。ここでも秘密を抱えている。三人ともずるい関係を続けていくのだが、セックスの味を強烈に覚えた関係というのは、私は普通の恋愛よりももっと特殊に繋がっていくように思える。それはやはり理屈を越えた本能の問題なのだ。本能に近いということは最も生物的な人間に近い。自然な状態であるということだ。
「恥ずかしさは必要なのよ。何をして生きていくにしろ」

 性が生だとすれば、主人公は何を求めたのだろう。ただ、主人公は今の関係が壊れることを恐れていた。全身が余さずに満たされる快感にひたっていたかったのか、穏やかな水に浮いているような気持ちになれるのが好きなのか。どことなく寂しさを覚える不思議な作品だと思った。
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2005年07月19日

24 -TWENTY FOUR- シーズン1



もうドラマじゃない
アメリカで一番人気のあるドラマは「ER」なのだが、ついで現在はこれが人気らしい。私は天邪鬼にできていて、いわゆる流行っているようなやつがあまり好きじゃない。集団心理が働いているし、たまにおおハズレすることもあるし、いちいちみんながおもしろいとわかっているのだから、別に自分が体験して再確認することもないだろうという考えが働く。
前は、値段がちょっと一気に払うには高いこともあり、あまり興味が沸かなかったのだが、今回は、シーズン4が出るにあたり、値引きしていたのを一気にシーズン3まで仕入れてしまったのだった。それでちょくちょく見ていたが、まだシーズン1も半分しか見終わってない。
当初はドラマだからとバカにしていたふしがあったが、見て土下座しようかと思うほどに己の判断が誤っていた事に気付かされた。
正直に言って、これはもう映画レベルです。とても「ドラマ」だと言えるようなクウォリティーじゃない。この脚本を考えた人も天才だし、このドラマを作ったスタッフも超一流です。というより、本当に脚本考えた人天才です。何度繰り返しても言い足りない。これは凄い。
宣伝までの時間割、シーン展開、来週に残すまでのシナリオの逆転、何が起こったか少しでも見逃せば話がわからなくなるほどのスピード感、キャラクターの濃さ、人間心理をついた深み、何をとっても凄い。二重三重に話が同時進行するおもしろさは今までになかったドラマです。
カット割がおもしろく、同時進行する話に合わせて画面が四つになったりします。これがまた忙しい。見るのも忙しいが、シナリオも忙しい。とにかく最初から始まったスピード感とスリルがまったく途切れないままずっと続く。なにせ、主人公、家も首相候補も守らなきゃいけない。それでもって寝不足。これは主人公に合わせて、12時からずっと見ていたらさらに臨場感が・・・え?無理?
だいたい一話四十分。全部で16時間ほどあるので、しっかり見るべし。たぶん、レンタルビデオで借りるより、買っちゃった方がお得かもしれない。なぜって、あとで絶対また見たくなるから。新感覚、体験してください。

シーズン2

シーズン3

シーズン4
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2005年07月17日

GHOST IN THE SHELL〜攻殻機動隊〜



マトリクスの原点
私は原作を読んでいないのですが、アマゾンのレビューを見ると原作を見たら映画が楽しめるそう。なにせ世界設定やセリフが難しいので、飛び込みで理解するには辛い作品。
話を飛び込みで理解していくには脳生理学と、フロイトやカント、コンピューター知識と聖書のことは少なからずわかってないと飲み込めてこないと思います。少なくとも脳が電気信号によって様々なことを伝達していると言うことだけは頭に止めておいた方がいい。文字間違っているかもしれませんが、この世界ではサイボーグ化された脳は電脳って言って、簡単に言えば超高機能ネット付きパソコンが頭の中にあるって言った方がわかりやすいかも。
話の設定やセリフが難しすぎて誰にでも理解できる内容ではないと思いますが、「マトリクス」の原型になっただけあって、あれがこの話のパクリだということがよくわかります。なにせ「マトリクス」を一番最初に見たときは吹き出しそうになった。だってそのままなんだもん。
最後のセリフが理解できない人は話や世界観そのものが理解できていない人。
マトリクスの終わりも同じ内容のセリフでした。
この話の主題は自我や自己、それを取り巻く世界、世界があるゆえに自我や自己があり、それらが育てられ、拡大し、世界があるゆえに自我や自己が制約され、時には収縮されるという二律背反。それを超越するためには世界そのものになるという命題。これが根っこにあると思います。
映像が綺麗なので楽しめるとは思いますが、相当頭柔らかくして色々なことを頭にとめておかないと「結局なんなの?」ってことになってしまう。
そういう意味で、見る相手を選んでしまう話です。
「イノセンス」を見るのならこちらは絶対に見ておいたほうがいいです。
なにせ「イノセンス」続きなので、こっちで少し話を理解しておくと、「イノセンス」の中で出てくるキーワードが理解できます。
作中に出てくる変な歌の言葉は神韻と呼ばれるもの。ご利益があるかも?


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2005年07月13日

ショーシャンクの空に



希望は人生で最高のエッセンス
 公開されて十年もたつのですね。スティーブン・キング原作、「刑務所の中のリタ・ヘイワース」を元に脚本化されたもの。無実の罪でティム・ロビンスが刑務所に入ってしまうのですが、挫折にめげずに希望を持って生きていくさまを描いています。なんせこの映画、私が繰り返し見ている数少ない映画。何度見ても涙腺が弱くなります。刑務所の中に居るモーガン・フリーマンがまたいい。二人の役者はちゃんと長い刑務所の中での時間の流れを表現していきます。特に二人とも時の経過とともに落ち着いていくのですが、ほんの少しだけ対照的なのは、モーガン・フリーマンがそわそわしていくのに対して、ティム・ロビンスが余裕すら見せるようになっていくところがいい。その互いの心理の中に何の違いがあるかというと、「絶望」と「希望」の違いなんじゃないかと思います。モーガン・フリーマンはどこかに絶望とまではいかないまでもそこへ至るまでの「諦め」という要素は充分に持っていた。そこから逆に落ち着きを得ているのに対して、ティム・ロビンスは「希望」があり、「諦め」を徹底排除していた。彼には未来があり、その未来を見ていることへの余裕があった。事実、映画はその要素を中心に展開してくわけです。
 人が夢を持ったり希望を持ったりしてもすぐに諦めてしまうのは「失敗」や「挫折」があるからです。この映画の中でティム・ロビンスは何度も「失敗」や「挫折」を繰り返します。ティム・ロビンスは映画の中で言います。希望があるから打ち砕かれる衝撃に挫折するんだという考えに対して、「希望は何よりもすばらしい」と言います。それは挫折があろうと希望だけは人の心から奪い取ることができない。自由も何も束縛された中で自由を夢見る希望とやらをモーガン・フリーマンは怒りを交えながら嘲笑します。でも、二人の大きな違いはやはり「諦め」を持つか「希望」を持つかの違いでしかありませんでした。
 人間は二極に分類するとネガティブな心を持った人と、ポジティブな心を持った人がいます。近くにそういう友人が居るのならば比べてみてください。必ず言っている言葉が違います。ネガティブな人はネガティブな言葉を多く使い、ポジティブな人はポジティブな言葉を多く使います。映画の中でもそれは出ています。
 人生の中で大切なものは「希望」。これを失わないでポジティブな心と言葉もっていけば必ず明るい未来は開けてくる。私はそう信じています。これは本当によい映画。様々な人に心からお勧めしたい映画です。
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2005年07月10日

ヘブン・アンド・アース 天地英雄



さすが!ツボをおさえていらっしゃる!
日本人から見れば、中井貴一が主人公じゃない?と思いますけれど違いますよ。隊商の護衛役になるチアン・ウェンです。紀元600年ごろの話で、中井貴一はなかなか日本へ帰してもらえない遣唐使の役なのですが、他の人の持つ剣と違ってわりと日本刀に近い反り具合。柄のデザインも日本刀みたいです。中井貴一はチアン・ウェンを抹殺しに行くのですが、二人ともなかなかの剣さばき。隊商はシルクロードを辿っていくわけですが、その景色からもスケールのでかさが出ている。
ほとんどが砂漠のロケなのですが、なんせ砂漠は気温差がひどく、夜になるとマイナス近くまで落ち込むこともあります。で、見てるほうはさぞ暑いのだろうと思うのですが、白い息が出てるのがわかります。寒そう。友だちも気温の寒暖で夜凍死しかかったことがある。
見所は馬もラクダも演技しているところ!これ凄い!それとがんばれじいちゃん!って気持ちになる。中井貴一はとっても中国語がお上手。普通に中国語で会話ができそうなぐらい発音もいいです。対するチアン・ウェンは懐のでかいお父さんみたいなおおらかさと厳しさがにじみ出てる。ああいう人は本当に頼れる感じがしていい。
最近はコンピューター技術が発達しているから、ちょっと撮って合成して多く見せかけるなんてことはよくやってますけど、これはちゃんと映ってる分だけの人がいます。それだけに迫力がある。チャンバラシーンもやっぱりというべきか、香港映画系のものはツボを心得ていらっしゃいます。ただ、あまりにもアップでごちゃごちゃやっているために、せっかくの剣さばきが見えないところがあったりして残念。あれ?今何したの?ってシーンが数箇所ありました。それとも剣さばきをわざとぼかすためにやったのか、そこら辺の真相はいかがなものか。
途中で砂漠のど真ん中で死に掛かり、隊商の荷物を狙う敵に水をぽいって投げられるのですけれど、なんかてくてく歩いていってやられちゃう。最初は「これは砂漠の掟かなんかなのか?」とは考えてみたものの、やっぱり考え直して「こいつは犬死だ!」と気付いてしまった。あれは一体なんだったのか教えてください。
古い中国には数々の伝説があります。私が好きなのは三国志なんですけれど、劉備と孫権が剣で岩割っちゃったり、仙人出てきて歴史変えたりとなんだか壮大な歴史には伝説がつきもの。この映画の中にも「いや、それはないだろう」って思える奇跡が起きます。奇跡を起こすのはじいちゃん。さすが、伝説の男になりました。どうせなら彼を祭ればいいのに。
馬の動きも人の動きも最高の作品でございました。
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2005年07月09日

21g



あの三人だからできました♪
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロの三人が主軸となって進行していくドラマ。
交通事故によって不幸な形で繋がれる三人なのだが、全体的に画面のトーンが落ちて配色を濃くしているために、わざとざらつかせている画面がひときわ目立つ。そのためにドキュメンタリー映像を撮っているような感覚が出る。カメラワークも人の視点を重視し、目で追っている感じが強い。とてもリアルに感じる。上記の三人はアカデミー賞クラスの俳優。だからこそ、よりリアルさが出る。画面に出てくる人たちは皆「人間臭い」。というのも、感情の噴出具合が並じゃない。何十色もの色がころころと変わるように目まぐるしい。「喪失」「憎しみ」「救い」「罪悪」「愛」「繋がり」様々な思いが爆発的に散っていくようだ。
正直に言ってこの映画を切り取れるほどの知恵や経験が私にはない。人は誰かが死ぬと21g軽くなるといわれている。一体何を失ったのか。何を得たのか。
私の身近な死は中学一年の時に祖父が交通事故で亡くなった。自分が傷ついているということは他人に指摘されて始めて理解した。自分が自分じゃなくなってしまう感覚というのは、自分が明るくつとめていると思っていてもひどく傷ついて暗い様子がありありと出てしまうことだろう。ナオミ・ワッツは薬に逃げ、ベネチオ・デル・トロは信仰に逃げた。だがはたしてそれは逃げなのか。人生に逃げなんてあるのだろうか。人はどんな条件であろうと生きていかなければいけない。人生は、逃げても生きていかなければいけない。人生において逃げはないのだ。
誰もが弱い。そして弱さと向き合い、時には立ち向かおうとする。私がこの数年で得たことは、自分がいかに弱いかだった。だが、人がいかに弱いかというところまでは確信がもてない。他人はきっと自分より強いのだろうという漠然とした思いがある。
経験から得ていくのが人間だ。確かにそうだが、何も得ようとしない人間もいる。そういう人間は人生そのものが不幸だ。なぜなら人生に意味や意義を見出さなければ「生」そのものが本当には生きてこない。人間には数々の曖昧さがある。人間の感情にも、行動にも、なにもかもあいまいだ。「生」の中で対比するものとして「死」がある。「死」は必ず自らの五感の外に存在している。五感そのものだと死んでしまう。結局、対比の中で認識するしかないのだと思う。
映画はとてもシンプルだが難しい。時間軸が様々に差し挟まれて進行していくために謎が明らかになるような感じが出ている。これがきっと正常な時間軸で進行していったらつまらないと思った。なぜなら、人の強い感情は必ず過去に残っていって、必ずその感情を思い出すときは過去の思い出とともに現在を過ごすからだ。想起という意味で正常な時間軸の中に違う時間軸を入れることで人の思いそのものに近い構造になっている。そういう意味でこの映画全体がひとつのリアルな思い出となっている。時折、サイレント映画を見ているかのようなシーンがあった。切ないアコーディオンの調べに悲痛な思いが深く重なっていく様子が、より深さを演出している。
人は脳で生きている。だからこそ脳が認識した世界がすべてだ。日本はそうじゃなかったが。
脳が地獄だと思えば地獄。天国だと思えば天国。繋がりは絶望も救いをも生んでいく。
暗さが強く残るような映画だが、非常に強い力を持った映画だと思う。そして見る人によっても、その思いは違ってくるだろう。
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2005年07月08日

隣のヒットマン



騙されたっちゃ!!
説明書きには確かに「ハードボイルド」と書かれている。パッケージも渋い。ジャッカルのブルース・ウィリスを思い浮かばせるような不敵な笑いの彼。なるほど、これは相当シビアな話に違いないと買ってみた。だがしかし、これって・・・これってコメディーだよ!!って気がついたけれど、時すでに遅し。実は「フレンズ」をあまり見たことがなかったので、マシュー・ペリーがそれに出ていることすら知らなかった。もし知っていたら、「これはもしかして、真面目な演技かも」なんて思って買ったところだが、やっぱり彼がいることによってすべてコメディーになっている。彼がもしいなければ、コメディーにはならないところが、本当にたった一人彼がいるためにすべてがコメディーになっている。彼の存在自体コメディーになっている。彼のすべてがコメディーになっている。彼=コメディーだよ!!
途中で出てくるアホそうなマフィアのボスが点数高い。「いかにも俺はアホです」っていう演技が相当点数を稼いでいるといってもいい。その中でもブルース・ウィリスは真剣そのもの。マシュー・ペリーがいなければシリアスな役柄になったはずだ。中に入っている特典映像でインタビューがあるが、その中でマシュー・ペリーが「ブルース・ウィリスは本当に何も知らない子供のようでどこにカメラがあるかもわからなかった。僕が教えてあげたら彼の演技は相当よくなったよ」と真顔で言う。もちろんドラマではなく映画の出演回数はブルース・ウィリスの方が断然上なのだからこれは嘘だとわかる。しかも隠し撮りじゃないんだから、目の前にカメラがあるセットも使うんだし、そりゃないでしょとは思ったが、このインタビューを見ても相当おちゃめだということがわかる。監督のインタビュー中にもちょっかいを出していた。
あ、男性の皆さん。途中で裸が出てきますよ。見事なプロポーション。でもちょっと変だなと思ったのは、同じ画面の中に男優さんがあまり写らない。そういうシーンは別々で撮っていて、あたかも人が目の前にいるように演技をしている。そこら辺はちょっと違和感があるかもしれない。どうやら続編もある様子。実力派俳優ブルース・ウィリスの微妙な感情表現がマシュー・ペリーのコメディータッチの演技と絡まっていくところは余計におかしく感じた一品でございました。

続編

ジャッカル

フレンズ
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2005年07月07日

フレンチコネクション2



名優は作れない
前作とはうってかわって石原軍団が出ているドラマのように男くさい。
前回は「執念の追跡」だったのに対して、今回は「執念の演技」。
ジーン・ハックマンの役どころとしては非常に難しいはずなのに難なくこなしている。
監督さんの話を聞くに、彼はアドリブで演技をしてしまい、「カット」と言う必要がないくらい役そのものになりきっていると言う。
今回も下心満載の執念追跡刑事がマルセイユまで行ってしまうという話で、最初は言葉の壁があったり、外から来た刑事ということで邪険に扱われる。それでも体当たりで行ってしまうところは、自分がアメリカへ行った時を思い出してしまった。テレビを見ていた時にフランス語にふんふんとうなずいている彼を見て、「ああ、あるある」なんて共感してしまった。
今回アロハシャツなんか着ちゃったりと茶目っ気が出てたり、やっぱり今回でもナンパしたりとユーモア溢れる部分があるが、肝心の女性とのからみがカットされてしまっているとこと。とても気になった。・・・たく、誰だ!カットしたの!(監督ではないらしい)
説明にも書いてあるからばらすけれども途中で組織に捕まって薬付けにされます。その薬付けの状態を見事に演じきってるジーン・ハックマン。それでいて前回と180度変わった演技を求められても、役のイメージを見事に整えてます。これ、とっても見所。恐ろしいくらいの才能にあんぐりと口をあけてよだれが垂れるところだった。フランス人の刑事役がとっても素敵で、なんだかんだ邪険に扱いながらも力になっていって、少しずつ打ち解けていきます。薬漬けになって薬を抜いていく更正シーンが長かったりするけれど、ちっとも気にならない。むしろ「これから本当にどうなっちゃうんだろう」ってはらはらしちゃいます。
最後は「あぁ!?終わっちゃったよ!?」ってな感じですが、ちゃんと「リハビリ」もばっちりやっているのでよしとするかな。よくあれだけ走れたなぁ。前回に比べて建物が入り組んでいるので直線距離は少ないです。はい。
マルセイユは物騒な街らしいので気をつけてください。

フレンチコネクションをセットで
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2005年07月06日

トラトラトラ!



えぇ!?アメリカの映画なんですか???
真珠湾攻撃の映画。第二次世界大戦の勃発の瞬間を描く非常に中立的で貴重な映画。
ハリウッド作品、そうでなくてもアメリカの歴史映画作品は、エンターテイメント風に脚色されていたり、作る側の意図によって中立的な立場を失ったりなど、まあ、ようするに誰かがやられたコンチクショウ、もう許さねぇぞ、末代まで呪ってやるとか、主人公がいて、その視点、感情などから描かれたりします。
しかしこの映画は、殺された悲しみなど一切を排除して歴史に忠実に描かれている珍しい作品です。なので本当にアメリカ作ったのかなとかなり疑ってしまいました。
70年作の映画で日米合作映画。日本の昔懐かしい俳優さんもしっかり出てます。ちゃんと日本語しゃべってますよ。
当時の歴史的な背景を忠実に再現してます。それぞれの思惑もきちんと表現しているし、山本五十六が「一年くらいは暴れてやります」って言ったのも有名なセリフです。結局日本の弱点はエネルギー資源のほとんどすべてを輸入でまかなっているために、石油抑えられないと自滅するんですね。当時はアメリカの経済制裁なども受けていて非常に国が瀬戸際に立たされていたということも忘れてはいけません。
結果的に言えば宣戦布告をせずに奇襲攻撃をしてしまったことになりましたが、太平洋戦争(日本側で言うところの大東亜戦争)は、当時の大本営参謀、瀬島龍三氏によると「あれは防衛のための戦争であった」と仰られております。
歴史的なことについて言及するには、様々な思惑が重なっており、また知られない事実も多数存在することから断言することはできませんが、教育に関してはこの近代史をしっかりと教えなければいけないと思います。
教科書問題なんたらとややこしいこともありますが、今の子にきちんとした事実を教えなくて、どのように戦争に対して考察をしていけばいいのかわからないと思います。こういうことはきちんと伝えていくべきだし、直視していくべきことだと思います。

今の若い人たちにきちんと見て欲しい映画。戦闘機シーンも大迫力で真珠湾攻撃シーンは圧倒されます。今見てもちゃんと映画として楽しめる作品ですよ。

興味が沸いたなら、ここからの日本の敗戦までの流れと、様々な玉砕戦法、思想統制を調べていくといいですよ。

瀬島龍三

瀬島龍三を題材にした小説「不毛地帯」
posted by ハヤブサ at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

フレンチコネクション



これぞ決定版「追跡!」
驚いたなぁ。今まで古い映画って少し偏見があって、ぜんぜんテンポも悪くてだらだらしてておもしろくないだろうみたいな考えであまり見なかったのですが、最近DVDが安いこともあってちょくちょく見てます。
これはジーン・ハックマンの出世作。彼はダスティン・ホフマンと同期らしくて、同じように30過ぎてから出世しだしたということらしいのです。遅咲きというのかはわからないのですが、今で見るジーン・ハックマンと71年作のこの映画に出ているジーン・ハックマンの迫力となんら差異がないところがまた凄さを感じました。普通、俳優には成長の過程があって、それを追いながら見ると楽しかったりするのですが、自分の好きな老練のジーン・ハックマンとなんら違いがないところに圧倒されつつ最後まで見てしまいました。
映画はセリフが少ないかなと感じるくらい、とにかく追う、追う、追う、追う、追うの連続で、なんだかすべて追うシーンのような感じもするのですが、追う中に逃げる人間と追う人間の駆け引きがたくさんあったり、緊張感の途切れぬ展開でぽんぽんぽんぽん進んでいくので飽きることがない。ただ、画面がぶれるのでちょっとだけ目が疲れます。
自分はこういう元祖追跡映画みたいなのは初めて見たのでとても新鮮に写りました。電車高架の下を車で爆走しつつ逃げる電車を追うシーンは、そんな無茶な、とか思ったりしましたが、とにかく執念深い。執拗に追いかけます。その執念深さが致命的なミスを犯したりします。最初のサンタと刑事の組み合わせはちょっと斬新。あ、そういえば昔「リンダキューブ(3)」ってゲームがあったの思い出した。関係ないけど。
posted by ハヤブサ at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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