2005年05月29日

泳ぐのに、安全でも適切でもありません

発行:集英社

マシュマロのような恋愛事情
とても不思議な感じがする。十人の女性の主観的な視点から、男女の事情を書いているはずなのだが、鋭利な感じはまったく受けず、とても柔らかだ。まるでこの小説の空間隅々まで「江國香織」という液体で満たされている。しかもその液体はとても柔らかく、弾力性のあるものだ。なんとも表現しがたく、それでいてしっかりしているような感じがとても変な感触を自分に味合わせる。読む人が読むとてもつまらなく感じるかもしれない。でもその「つまらなさ」というのは、「斬新で鋭利で生々しい恋愛事情」というものを文字そのものに期待しているせいではないのだろうか。この作品には直接的にはそのような印象は受けない。あらゆるものが優しく包み込まれているせいで、生々しく鋭利なことがとても暗喩的に表現されている。そこがとても不思議な感触を受ける原因だと思う。

以下、各ストーリー

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2005年05月27日

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション(中)



発行:文藝春秋
※注意:推理小説というジャンルに関しては、読む前のネタばれを恐れる人がいるので、気にしない人だけ見てください

今回の編集は、男と女を取り巻く事情、男と女同士の事情に絞った短篇集。「悪女を描く時、清張さんは手加減しませんでした」と宮部みゆきさんは書いていますが、この中で出てくる一番の悪女は「書道教授」の中に出てくる水商売の女。一番悪いのは男なのですが、その男の浮気の事情に漬け込み漬け込み、もはや犯罪と断言していいほどの行為を行います。宮部みゆきさんは前半を「淋しい女たちの肖像」後半を「不機嫌な男たちの肖像」とまとめていますが、男も女もどちらともすがり付き合っているので、色恋に関しての事情は片思いではない限り、ほとんどは皆淋しいのではないかと思うのです。
「不機嫌な男たちの肖像」は、社会に飲まれる、また社会の権力や力に飲まれ翻弄され、その中で身勝手に振舞う人間たちの肖像と言ってもいいほどです。なにせ漠然とした事情の中で漠然と事件が起こるような感じです。この中での一番の悪は「保身」ですね。はっきり言ってしまえば「責任を取らないことが一番悪い」のですが、社会と言うのはどうにも「正義感」を通していくにはとても生きずらい。特に組織という中にいた場合、組織の一員でいる限りは組織の意向に反することはなかなかできない。別に闇の世界とかそういう話じゃなくて、実際会社に入っても似たようなことが起きます。ようは理不尽なんですね。

以下
「遠くからの声」
「書道教授」
「カルネアデスの板」
「空白の意匠」
「山」

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2005年05月21日

マークスの山

発行:講談社

おまたじゃくしは踊る。
人伝えに聞いた話だが、高村薫さんは「ミステリーを書いているつもりはない」と言ったそうだ。なるほど、この本を読むとミステリーではない。犯罪の仕掛けや犯人像よりももっと男臭い小説で、人間感情がとてもリアルに描かれている。肝心の犯人は最初の方でわかるのだが、いわゆる精神病である。現在の日本の刑法では第三十九条の条文により、心神喪失者は罰しないことになっている。この犯人は結論から言うと犯人が逮捕されても徒労に終わる・・・と言ったら変だろうか。たとえ何十人犯人が殺したとしても心身喪失状態なのだから罰せられないということなのだ。これは悲しい運命とも言うべきなのかどうかわからない。最初から何か虚しさを感じる。こんないかれた犯人でも愛してくれる優しい女性がいるのだが、人によってはこの女性にこそイラダチを感じるかもしれない。もう、誰をもとがめる事ができるような状態ではないほどに、様々なことが駆け巡る。特に権力機構が絡んできたり、底に固執する人間の邪さや、権力機構の中で生きる人間の憤りが見える。
そもそも男と言うのは本質的に暴力的なのではないかというのが私の本音だ。この小説の中で生きる刑事は、とにかく狙った獲物を追い続ける。「何のためにこんなことをしているのか」という本人たちも気がついている虚しさすらも引き裂いてしまうほどの闘争本能むき出しの感情は、男を描く時ならではの書き方だ。
男なんてつまらないプライドで動いていると言ってはいけない。基本的に戦っていなければどうしようもなく空回りしてしまう生き物なのだ。この小説ではその闘争の対象がたまたま殺伐としているだけで、形を変え、方向を変え、世の男たちは戦おうとする。それが男なのだ。
意思や感情とは別に、少なくとも体や皮膚に刻まれた記憶が反応するはずだ

心理戦が非常に巧みな一面を見せるこの小説だが、犯人を問い詰める際に出てくるこの文章はこの小説の中で動くすべての人に当てはまる。それだけに、ある意味切ない。その半面、小説の中で重要な位置を占める唯一の女性、犯人の恋人の気持ちがこの小説にたったひとつの救いを与えてくれているような気がする。

読み終わって、この小説は一体なんなのかを考えさせられる。主人公合田が言うセリフの場面でこんな文章がある。
「〜命がかかってるから、その分何か特別な仲間意識のようなものがあるのは感じる。いい意味でも、悪い意味でも。案外、閉じられた狭い世界なのかも知れんな」
「私らみたいだ」
森は一言いい、虚空に向かって軽く嗤った。

何かこの部分が小説すべてを物語っているような気がする。この小説そのものがこの一場面の文章なのだと。まるで滑稽な自分たちの位置や周囲の状況を嘲笑するにはあまりあるが、その中で生きるしかないのも自分らなのだという気持ちがくみ取れる。組織の中で生きる人間。権力、己の保身、プライド、あたかもつまらないものに固執して動いているには誰なんだ。嗤うにも嗤いきれない彼らの苦悩は私らの日常にも深く浸透してくる虚しい問いだ。
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2005年05月15日

新たな法体系システム





諸刃の剣になる恐れは充分にあるし、従来の法律の概念を充分に逸脱した危険なシステムであることは間違いないが、現在の法システムは果たして巧妙化する犯罪に対応しきれているのであろうかと言う疑問から、トリガーシステムの法律を作ればいいと考えた。
それは、案件を挙げておいて、何らかの事件発生とともに法律効果を発揮するというシステムだ。
ネットやアンダーグラウンドの犯罪は逃げ足が勝負だ。
多くの被害が出てからようやく法律を作りましょうと言うのでは経済的な損失はあまりにも多くなる。
これからより国際化となると、どんな犯罪が発生するか未知だ。
特にこのような事件はネットを使った犯罪や、機械、プログラム、システムのすり抜け、国家間の法律の差などをうまく使った場合に発生する。
トリガーを作る機関を設置し、そこは民間の法律家などから人員を組織する。
そのトリガー機関を監視する機関を設置、民間人から入れ、案件をあげる前に案件として妥当かどうかを審議する。
どちらも定期的に入れ替えを行い、一度所属した人間は入れないようにする。
トリガーはトリガーの段階では法律効果を発揮しないが、事件発生とともに国会か、もしくは警察機関か、最高裁判所の特設機関(これも新たに設置)の承認により法律効果を発生、事件を追うというシステムになる。

個人情報保護というのも正規の情報かどうかを確認する情報への信頼性を高める何らかのシステムを作ればいい。
例えていうならば、JIS規格みたいなものだ。
情報と言うものが、確かにその会社が合法的に仕入れ、その会社独自で扱っているものだと言う言わば指紋認証システムにも似たシステムを作ってしまえばいいのだ。
そうすれば、いちいちダイレクトメールがどうのこうのとか詐欺電話がどうのこうのと言わなくてもいい。
電話については液晶で表示できる。
そこで非合法か否かを知らせばいいのだ。
例えばそれはまるPマークみたいな(personalの略)、ちょっと安易なマークだが例えばだから許して。
そのマークがなかったりすると非合法、そして、マーク偽装は重罪なんてのがあったら企業も個人情報保護だけに莫大なコストをかけずに済む。
電話会社がそのような情報認証機関みたいな子会社を作ればちょうどいいのではないでしょうかね?
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2005年05月02日

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション(上)






※注意:推理小説というジャンルに関しては、読む前のネタばれを恐れる人がいるので、気にしない人だけ見てください

宮部みゆきさんの解説つきの短篇集。当時の編集者の文が最後に寄せられています。私は松本清張さんのからりとして、鋭利な文章が大好きですが、それは並外れた直観力と情報分析からきてるのですね。彼が生きていたらオウムや9.11をどのように見たのか、と宮部さんも当時の編集者も口をそろえたように書いています。この情報化社会。まるで過去が一気に流されてしまうようにどんどん消えていきます。しかし、当事者はこの事件を忘れたくとも忘れられないでしょう。傍観者は体験者と違って、知っているようで、ただ知っているふりをしているだけというのが傍観者なのでしょう。そこへひとつ「観察者」というのが存在してくるわけです。「あれは一体なんだったのか」を様々な資料や、強いようでもろい意思の方向性、人間の弱さ、そういうものから端的にずばずばと書いていくのが松本清張という作家のような気がします。今も苦しむ当事者をかの作家は一体どのように描いたのか、どのように見つめたであろうか、そんな彼の姿と視点を想像するのも楽しいかもしれません。

以下、
「一年半待て」
「理外の理」
「真贋の森」

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posted by ハヤブサ at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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